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2014年11月23日

大相撲逸ノ城が本物の強豪と呼ばれるために


大相撲で先場所旋風を巻き起こした
関脇逸ノ城が九日目で4勝5敗と振るわない。


特に上位陣には全く通用せず、
怪物出現と喜んだファンをがっかりさせている。


でも、自分は場所前、たぶんそうなるだろうと
思っていた。


その理由は、先場所の上位陣に対する
勝ち方にある。


そう、立ち合いの変化で勝った相撲である。


逸ノ城の立ち合いの変化は、
既に多くの解説者が批判しているが
もっときちんと考えた方がいいと思っている。


それはスポーツや芸事のみならず、
ビジネスや職場での成功に通じる部分が
あるからだ。


立ち合いの変化がダメである理由その一。


相撲が面白くないことである。
言うまでもなく、お客さんは力と力のぶつかり合い、
熱戦を期待して会場に足を運んでくれている。


それをただ勝てばいいという相撲を
見せられても、ファンは喜ばない。


つまり、顧客満足、顧客目線の商品を
自分の勝ちにこだわり提供できていない。


理由その二。


楽して勝ちを得ても、本人にとって
何の収穫もないことである。


かつての大横綱、千代の富士は
当時としてもとびきり小柄軽量だったが、
下位にいた時から決して立ち合いの変化を
見せなかった。


真正面からぶつかり合い、
相手がどのくらいの圧力なのか、
それに耐えてどう次のワザを繰り出すのか、


立ち合いに変化してしまうことは、
その機会をみすみす放棄してしまっているのだ。


つまり、短期最適(とりあえず勝てる)であっても
長期不適(成長しない)なのである。


そして理由その三。
これが最も重要だが、逸ノ城のような力士の
立ち合いの変化は大相撲のアイデンティティたる
品格の破壊であることだ。


逸ノ城のような超大型(192cm、200kg)で、
将来を嘱望されている力士は、大相撲の品格を
守らなければならない義務がある。


大相撲がなぜ何百年にもわたって
庶民の人気コンテンツとして生き抜いてこれたのか、
それは歌舞伎と同じく総合文化としての
アイデンティティほ品格が強固であったからである。


「ちょんまげ」や「化粧まわし」などと同じく、
大相撲は様式美に支えられた一つの文化である。


ただ勝てばよいという品格の無い相撲は、
そのアイデンティティを破壊してしまう。


勝った力士のガッツポーズなども同じ理由で
絶対にすべきではない。


小柄軽量でワキ役的力士の変化は
たまにあってもよいが、
逸ノ城は稀にみる逸材である。



今場所のように立ち合いの変化を見透かされ、
ブザマな負けを喫するシーンを
ファンにもう見せてはならない。





  • Posted by グッドリスナー at 12:00│Comments(0)
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