たまりば

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Posted by たまりば運営事務局 at

2014年05月31日

野菜の生育は元肥しだい


夏に採れる野菜は
今の時期植え付けることが多い。


自分は以前家庭菜園に
はまっていた時期があり、
その時プロの農家の方に教わったのは
土づくりの大切さだ。


土が良くないといい作物は育たない
というのは、シロウトでもなんとなく
感覚的に理解できるが、


よい土をつくる作業は
作物を植える前から始まっている。


水耕栽培は別として、
土に植える野菜の場合、
土の性質や栄養分への依存性が高い。


pH(ペーハー)は勿論のこと
窒素やカリウム、
カルシウムやマグネシウムの
比率などとても重要である。


そんなもの作物を植えてから
追肥でなんとかとも思うが、
追肥ではなかなか適切な状態に
土のキャラクターを調整できない。


実際、痩せた土に植えた作物は
後からいくら追肥しても
なかなか良く育たない。


それに土中にはバクテリアや
生育にとって好ましい菌類が存在し、
それらは追肥では補えないものである。


だから、良い野菜を作ろうと思ったら
何年も時間をかけてまず良い土をつくる。


なんかこの話って
人間の教育に似ていないか?


やはり「鉄は熱いうちうて」とか
「若いうちにいろいろなことを学んでおけ」
という話である。


しかしこれは、
長じてからの勉強など
無意味だということではなくて、


若い時にしか吸収できない
こともあると解釈すべきことなのだろう。


さらに野菜とは違うこともある。
自分の見方はこうだ。


誰しも人生の中では
いろいろな経験をしており、
すでに土はできている。


ただ、耕されていないだけで
土の養分を活かせる状態に
なっていないだけである。


なので、自分の人生の土の
成分を分析し、適切なバランスで
追肥すれば、素晴らしい作物が
育つ土になるはず、と。


一方で、土に合った作物を植える
必要はある。


実際の野菜でもそうだが、
野菜にとって好ましい土というのは
結構異なるもの。


土に合わない作物は
いくら手をかけてもなかなか
育たないが、


土に合った作物は、
どんどん成長する。


さて、自分の土に合った作物は
どんなものだろうか?



  

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    2014年05月31日

    自分の強みを武器にするためには


    どんな人にも
    その人だけの人生があり、


    自分の過去に真摯に向き合って
    宝物を掘り出して、
    知らせたい人にメッセージとして
    届ければ、道は開ける。


    しかし、自分の強みも
    永久不変ではない。


    社会情勢の変化で
    その値打ちも変わるし、


    強みじたいも磨いていなければ
    陳腐化することもある。


    それには目先の結果だけを
    追い求めるのではなく、


    より深掘りしていくことが
    何よりも重要になる。


    あることについて特技を
    持っているとして、
    それを強みとして維持するには、
    もっともっと深く先鋭化させることだ。


    初めは普通の人よりアタマ一つのリードでも
    その点に関してどんどん勉強や体験を積めば、
    短期間にその一点においては
    他の追随を許さないオーソリティになれる。


    自分はプレゼンテーションスキルの
    研究を続けているが、


    どんなプレゼンの達人という人でも
    全てのプレゼン現場で達人ということは
    絶対にない。


    もし、自分がそうだという人がいるとしたら
    それは虚言である。


    プレゼンテーションは
    すべての対人スキルに共通する
    コミュニケーション技術なので
    きわめて幅が広く、
    そのすべての場面に精通する
    ことなどできない。


    だからその意味で
    プレゼンテーションの場合、
    達人になろうと思ったら
    思い切り範囲をせばめて


    〇〇〇〇のプレゼンテーション
    については誰にも負けない
    というように徹底的に絞ればよい。


    話がやや逸れたが、
    自分の強みを武器にするためには
    先鋭化させる方法で磨きこむこと


    つまり得意なことは
    もっと得意となるよう
    特殊化させること
    である。
    オールマイティである必要など
    全く無いし、時間のムダである。



      

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    2014年05月30日

    ブロッコリーの上の青カエルは何を思う

     
    先日、業務請負を受けている会社の
    仕事で、宮城に行くことがあった。


    ブロッコリーの収穫に立ち会ったのだが、
    作業の農家の方が呼ぶので行ってみたら
    ブロッコリーの上にきれいな緑色の
    カエルが鎮座していた。

    ブロッコリーの上の青カエルは何を思う





    気持ち悪いという人もいるかも
    しれないが、カエルはブロッコリーの
    近くに来る小さな虫を狙ってのことであり、


    小さな虫が来るということは
    それだけ安全な野菜であるということ。


    でも、自分が思ったことは
    まったく別のことである。


    10年前に父が亡くなった時、
    病室に姪の書いた絵が飾られていた。


    姪は大学で美術を専攻していて
    彼女から見て祖父の病気快癒を
    願ってのプレゼントである。


    その絵の題材が、
    つゆ空を見上げて何かを
    思っている青カエルだったのだ。


    人の記憶というものは
    何かとセットでしまい込まれている
    ことが多いもので、


    自分はこのシーンを見て
    父のことを想い出した。


    父は結局回復することなく
    その三週間後に亡くなってしまったが、
    病院のベッドで、じっとその絵を見ていた
    父の姿が印象的だった。


    青カエルはブロッコリーの上で
    じっとしていて全く動かないが、
    何かをじっと考えているようにも見える。


    他愛のない写真だが
    そんなことを連想している自分は
    過去の引き出しの一つを
    開けていたのかもしれない。



      

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    2014年05月30日

    自分のなりたい姿をイメージできるか?


    ブランディングの過程では
    必ず自分がどうなりたいか
    どんな姿になっていたいかを聞く。


    それは単なる目標などではなく、
    未来に向かう時の思考や行動の
    中心となるものである。


    これが明確にイメージできると
    何を当面の目標にしようと
    ブレなくなる。


    だから目標というより
    自分の人生の理念とか野心、
    行動指針のようなものである。


    とはいえ、誰しも
    あなたのなっていたい姿は何ですか
    と聞かれて、すっと出てくることは
    まずない。


    人は日常というものに常に埋没
    するものだし、何も考えていなくても
    まあ生きていける。


    将来に対して何の希望も
    リクエストも無い、
    今はそれでもいいのだ。


    なっていたい姿というのを
    明確にイメージするには、
    ちょっとしたコツがあるのだ。


    それはまず、
    「その状態になったら自分が
    心から満足できることは何か」

    考えることである。


    そしてもう一つ、
    「そこに他者との関係性を持たせること」
    である。


    だから例えば大富豪になって外国に
    別荘を10軒持ちたい、
    というだけではダメで


    その富をもって
    「○○に対して△△をしたい」
    というのを入れる必要がある。


    他者という要素が
    自分のなっていたい理想に入ることによって、
    自分だけのセルフイメージではなくなり、
    公共性が生まれてくる。


    公共性が生まれると
    初めて人はモチベーションを
    維持できる。
    誰かが絡んでいると
    人はなかなかサボれないのだ。


    そうやって自分のなっていたい姿が
    明確になったら、
    今の自分とのギャップが
    見えてくる。


    今の自分はその理想形に対して
    何が足りないのか、
    これから必要とするものは
    何なのかが見えてくる。


    そこまでくれば
    あとはギャップを埋めるために
    目標を立てて一つずつ
    クリアしていけばいい。


    もちろん理想形は年齢や経験とともに
    変化しても構わない。
    柔軟であってよいのだ。


    まあ、そんなに難しく考えなくても
    なっていたい姿を考えていると
    楽しくなり、結構ハイになっている自分に
    気付くはずである。



      

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    2014年05月29日

    歴史にイフは無いけれど考えてみる価値はある


    歴史にイフ(=もしも)は無いけれど
    仮定して考えてみると
    いろいろ見えてくることもある。


    もしも本能寺の変が無く、
    織田信長があの後生き続けたら
    どうなっていたかなどの歴史のイフは
    一番よくあるテーマ。


    織田信長は、
    徳川家康が作り上げたような
    権力の地方分散(近世的意味の「封建」)
    は志向しておらず、


    中央集権の絶対王権を志向して
    いたとされているので、


    おそらく豊臣秀吉も徳川家康も
    よくて失脚、最悪は滅亡に追いやられたことは
    想像に難くない。


    織田政権は、織田信長だけが
    突出していて、それを支える官僚機構が
    未成熟で、優秀な後継者にも恵まれて
    いなかったから、


    信長の死後は権力が安定的に行使されず、
    様々な内戦や混乱が起きたかもしれない。


    しかし、そんなこと以上に
    絶対王政が登場していたら
    その後の日本人の思考パターンや
    行動様式に与える影響の方が
    大きかっただろうなと思う。


    現代の日本人は、
    良くも悪くも徳川幕藩体制の
    文化的影響を強く受けていて、
    すべての社会的規範の基になっている。


    だからもしも16世紀という早い段階で
    絶対王政的な政治体制になっていたら
    今の日本とはかなり違った日本に
    なっていただろう。


    日本の歴史を通して読むと
    大きな断層がいくつかある。


    縄文時代と弥生時代の境界、
    神話的世界の考古学的古代と
    貴族王朝体制の境界、
    そして貴族の終焉と中世武士の登場。


    しかし、自分が一番強く境界線を感じるのは、
    室町戦国が終わり、徳川幕府が登場する
    戦国末期である。


    たんに政治体制が大きく変わった
    ということではなく、境界の前後で
    日本人じたいが劇的に変わった
    ように思える。


    戦国末期以前の日本人は
    ある意味奔放で、「個」の
    意識がとても強い。
    詩作など文芸的なことだけでなく、


    政治や組織に対しても
    「個」が見え隠れしている。


    徳川期からは、「集団」が前面に出、
    「個」の力で組織や社会を変えよう、
    という考えが育ちにくくなった
    ように見える。


    だから、歴史のイフとして
    織田信長が本能寺の変で命を落とさず、
    生きながらえたとしたら、


    もしかすると現代のヨーロッパの人々
    のような思考様式の社会に日本も
    なっていた可能性がある。
    もちろんそれが良いか悪いかは別としてだが。


    さて、イフを歴史から自分自身に置き換え、
    もしも別の職業についていたらとか
    海外に移住していたらと仮定することは
    心のトレーニングにはなる。



      

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    2014年05月29日

    昔は「電話が鳴ったらすぐに出ろ」 でも今は?


    5月、6月は多くの企業で、
    新人の研修期間が終了し、
    配属される。


    自分が会社員になった頃は
    今とは随分と違っていて、
    「お茶くみ」という仕事?が
    存在していた。


    「お茶くみ」は、女性社員が
    朝、職場の社員にお茶を入れて
    くれるのだ。


    新人女子の一般職は、
    初めは必ずやらされる仕事だった。


    今考えてもスゴイのは、
    湯飲み茶わんは共通の同じ物ではなく、
    一人一人持参の物を使用するのだが、


    お茶を出す人は数十人いたフロアの
    社員の湯飲み茶わんをすべて記憶していて、
    間違いなく本人に届けることである。


    今は来客時は別として
    お茶くみなどという言葉じたい
    消滅しているが、
    昔はそんなのんびりとした
    時代だったのだ。


    新人にとっての仕事での
    最初の関門は電話を取ること。


    とにかく電話がなったら
    すぐに出ろと口を酸っぱくして
    言われたものである。


    電話相手の企業名や個人名に
    馴染みが無く、聞き取れなくて
    苦労したことを憶えている。


    ところで、この電話、
    最近どの職場でも
    めっきりとかけることも
    かかってくることも少なくなった。


    理由は、メールの普及である。


    仕事でのコミュニケーション手段
    として、メールは電話にまさっている
    ことがあって、


    発信側にとっては
    伝えたい時に発信しておけばよい
    証拠が残る
    というメリットがあるし、


    受信側にとっては
    読みたい時に読めばよいので
    仕事を中断されない
    テキストとして残っているので
    一々メモを取る必要がない
    などのメリットがある。


    ビジネスでの便利度は
    圧倒的に電話よりもすぐれている
    ので、今はもう完全に電話を
    凌駕してしまっている。


    だから今の新人さんたちは
    電話に出る機会そのものが
    自分たちの新人の頃に比較して
    激減しているのではないかと
    推測している。


    対人コミュニケーションの
    総量が減れば、それを苦にする人が
    増えるのも道理である。


    そうなると、逆に
    対人コミュニケーション能力を
    他人より少し磨くだけで
    武器にもなる。

    ものは考えようではある。



      

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    2014年05月28日

    キャリアアップできない仕事に就いていると嘆く前に


    比較的単純作業中心の仕事
    に就いている方で、
    キャリアアップができないと
    悩む人がいる。


    特に就職や転職で
    キャリアや特技を聞かれた時、
    自分には何も「これについては」
    と言えるものが無いと思ってしまう。


    そんな人にまず言いたいのは、
    何も仕事だけがキャリアではない
    ということ。


    よく、「わたしなんか平凡な主婦で
    履歴として誇るようなことは
    何もない」という人もいるが
    これも同じである。


    プロフィールづくりでは、
    仕事以外のことを多く聞く。


    それは仕事などその人の全体像の
    ごく一部でしかないといことも
    あるけれど、


    人間としての引き出しは
    仕事以外の部分にたくさんあって、
    そこに宝が詰まっているからである。


    どんな幼少期を過ごしたか、
    どんな小学生、中学生、
    学生時代だったのか。


    好きだったこと
    嫌いなこと
    打ち込んだこと
    嬉しかったこと
    悲しかったこと


    そのすべてが今の人格を
    形成している。


    仕事は時間量としては
    大きくても、要素の一部である。


    自分にキャリアの無いと思う人でも
    無からある日突然大人として出現
    したわけではないだろう。


    何か好きなことがあったとしたら
    その理由があるはずである。


    どうしてそれが好きなのか
    なぜ何をやっても長続きしない
    自分が、それだけは好きで
    やることができたのか?


    宝物の詰まっている引き出しは
    その近くにある。


    キャリアが足りないと思うのなら
    その好きなことを徹底的に
    掘り下げる方法もある。


    そんなこと言ったって
    その道のプロなんかいくらでもいて、
    自分なんかと思うかもしれないが、
    それも間違い。


    アタマ一つだけ
    普通の人より詳しいだけでも
    十分に「それについては詳しい人」
    である。


    さらにキャリアとして誇るための
    コツは、ぐっと狭い範囲に
    フォーカスして詳しくなることだ。


    例えばバイクが趣味だったら
    バイクはバイクでも
    特定の機種のファンで
    しかもある年に生産された
    モデルだけとなれば
    より詳しい人はグンと減る。


    限定すればするほど
    競合は減るので、
    エッジは立ってくる。


    詳しくない人から見れば
    それもすごいキャリアに見えてくる。


    何もないと簡単にあきらめないで
    自分をもっと発掘する必要がある。



      

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    2014年05月28日

    織田信長はなぜ軍師を持たなかったのか?


    自分は、子供のころから
    歴史が大好きで、
    小説だけでなくいわゆる
    学術本もよく読んだ。


    その中で、大河ドラマでも定番スターの
    織田信長は、実に不思議なというか
    特異な武将である。


    中世的な秩序を破壊して
    近世の扉を開いた功績は
    誰しもが認めるところではあるが、
    異常とも見える所業には
    不可解な部分も多い。


    彼は幼児の時から癇性が強く、
    衝動性と計画性が同居していて
    常識とされていることでも
    平気で否定してきた。


    突飛な行動も多かったが、
    誰もが思いつかないような
    アイデアに一直線にたどりつき、
    それを実行する行動力を持っていた。


    反面、愛憎が甚だしく
    自分を一度でも裏切った人間は
    心の底から憎悪し、


    たとえ何十年たっていても
    許さず、林通勝や佐久間信盛のように
    父の代からの重臣であっても
    用済みとなれば平然と放逐した。


    こんなキャラクターに部下は、
    尊敬しつつも恐れおののき、
    結局は最後にそのことが本能寺の変
    を招く一因となる。


    歴史上、古今東西信長のような
    偉業を達成した武将には必ず
    謀将とも軍師ともいえる存在が
    ブレインとしているのだが、
    信長は孤独である。


    豊臣秀吉における竹中半兵衛や
    黒田官兵衛、
    徳川家康における石川数正や
    本多正信のような存在
    がいないのである。


    これは実に不思議なことで
    織田信長という武将の
    特異性を示していると思う。


    軍師のような存在は、
    武将がいかに傑出していようとも
    戦術の客観性を担保するためには
    必要な存在である。


    しかし、信長にそのような存在はなく、
    誰かの意見を取り入れた形跡が
    ほとんどない。


    信長の母の土田御前という人も
    激しい性格だったようで、
    彼もそれを受け継いでいたのかも
    しれないが、


    自分は、織田信長には発達障害の
    傾向が顕著に見られると思っている。


    発達障害の障害というのは、
    「disorder」の訳語だが、
    この訳は不適切で、本来
    発達アンバランス症候群とか
    強い傾向を持ったというべき
    ものである。


    織田信長は、常人とは違う
    バランスのまま大人になり、


    突出した才能の部分を存分に使って
    それを独創的な天下統一という
    作業に振り向けたのではないのか。


    こう考えると、
    彼が軍師を持たなかったのも
    道理と思えてくる。


    彼の独創には誰もついていけないし、
    軍師のような存在はむしろ邪魔ですらある。


    歴史には、似たキャラクター
    というか後世の人間にとっては
    似た印象を受ける人物がいるものだが、


    織田信長だけは、史上に似たタイプ
    という人物を見出しにくい。


    強いて言えばナポレオンだが、
    この人も発達障害であったらしい。



      

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    2014年05月27日

    あなたはアリ派、それともキリギリス派?


    きのう、きょうは携帯電話を
    2台とも家に忘れてしまい、
    外から見たら音信不通状態だ。

    泊りがけの出張なので
    これはほんとうにマズイ。


    どうも自分はきちんとして
    いなくて、こんなミスを
    しょっちゅうやらかしている。


    最近は無いが、
    以前はよく荷物を電車の中に
    置き忘れたりもした。


    この手のタイプの人は、
    組織人としては不適格と
    思われそうだ。


    さらに、チームワークが苦手で、
    独断専行の多い
    数字を気にしない、
    環境が合わなければ
    それを変えようとは思わない
    などの特徴もある。


    アリとキリギリスの寓話から
    こんな人はキリギリス的な人
    であるらしい。


    もちろん、組織の中で
    きちんと結果を出す人はこの真逆で
    日々努力を怠らず、
    与えられた環境が合わないと思っても
    その中で頑張ろうとする。


    確固たる経営基盤を持った
    企業の内部には、このような
    アリタイプの人材が多いそうである。


    しかし、キリギリス派にも存在価値はあって、
    アリ派の人が変化や先の読めない
    不確定性の大きいことに弱いのに対し、
    変化に強く、既存の常識には
    縛られにくいので、クリエイティブ
    である。


    キリギリス派の人は、
    既成概念から自由なので
    問題発見に適していて、
    夢想家である。


    どちらも必要な存在であって、
    どちらがよいというものでもない。


    自分は完全にキリギリス派で
    キャリアにおいて自ら傍流を望んで
    好き勝手なことをやってきたが、
    今はそれで良かったと思っている。



      

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    2014年05月27日

    本当の接客のプロがやっていること


    接客のプロといえば
    すぐに思い浮かぶのが
    クラブやスナックの女性。


    サラリーマン時代、
    接待や付き合いでそのような
    女性のいる店に行くことも
    あったが、自分は基本的には
    好きではなかった。


    やたらカラオケと酒を勧める店
    なんか最悪である。


    何が楽しくてカネを払って
    客の自分が女性の話し相手をし、
    下手な歌を歌わなければならないのか
    といつも思っている方だった。


    しかし、あの仕事は、
    対人コミュニケーションの要素
    が凝縮されている。


    達人もいて、
    そんな人はでしゃばらず、
    客に負担を感じさせず、
    やすらぎを与えたりもする。


    達人は、いつも客のことを
    よく察していて、けっして
    客の中に入り込んでこない。


    しかし、落ち込んでいると見れば
    さりげなく聞き役にもなり、
    客が自分の中にある答えを
    見つけるようにしてくれる。


    つまり、常にお客目線の
    対応をしているのだ。


    人が悩む時、
    ほとんどは既に自分の中に
    答えを持っているという。


    すぐれたコミュニケーションの持ち主は、
    聞き役に徹して鏡になり、
    その答えを引き出してくれる。


    なんかコーチングの基本と
    よく似ているよね。


    しかし、人は自分の力だけで
    自分の中の答えを探せない
    ことが多いから


    そんなコミュニケーションを
    必要としているのだと思う。


    すぐれた聞き役は、
    自分側の意見を差し挟まず、
    話し手が答えを見つけるまで
    ただじっと聴いてくれる。


    なんか哲学的なことにも通じるが、
    自分もそうでありたいと
    思っている。



      

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