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Posted by たまりば運営事務局 at

2015年02月02日

自信と自惚れの違いについて考えてみた


「自信と自惚れ」、両者の間の違いとは
一体何だろうか。


字義通りなら、自信は己を信じることだし、
自惚れは自分に惚れることだ。


一般的に自信は他人との関係性が無く、
自惚れは他人視点から見てそう見える
ことである。


サッカー香川選手やゴルフ石川選手は、
自惚れは無いが自信を失っている。


両者の違いについては
いろいろな見解があるが、
自分は「根拠」にあると思っている。


自分の中に確たる実績や経験が無いのに
「オレはすごい」と思っていたら
それは他人からは自惚れに見える。


でも実際に出来ていたことを根拠に
自分はできるのだと思うことは
自惚れではなく自信である。


根拠は実績だけでなく、
勉強や練習、稽古でつくることも可能だ。


フィギュアスケート選手が
練習で4回転を高い確率で
飛べるようになったら
それは本番でも飛べるという自信になり、
自惚れではないだろう。


逆に一度も成功していないのに
「オレは飛べる」というのは根拠のない
自惚れにすぎない。


こう考えると自信というのは
日々の精進で培うものといえそうだ。


自分はそれに加えて、
自身の過去の実績、経験、キャリアを
ブロックを外して見直すことが
根拠をつくることに有効だと思っている。


社会人として長年活躍してきた人の人生には、
たとえ本人が意識していなくても
自信の根拠となり得ることが
いっぱい詰まっていると思うのだ。



  

  • Posted by グッドリスナー at 17:00Comments(0)きょうの言葉

    2015年01月26日

    プロとは何か ビートたけしが若手芸人を叱った言葉


    アサ芸プラスに面白い記事があった。


    記事は、たけしとたけし軍団が
    勢ぞろいした生放送で
    オンエアしていない時に起きた
    出来事についてのものである。


    番組ではたけしがMCを務め、
    好き勝手な進行とデタラメな発言を繰り返し、


    それに対し軍団全員が客席から
    容赦なく野次を飛ばしてツッコむという内容。


    放送開始直後、ある若手芸人の飛ばした野次が、
    たけしの中でどうにも許せなかったようで、


    CMに入った途端、顔色を変えたたけしは、
    「おい、お前の野次は何だよ!
    つまんねーことばっかり言いやがって!」
    とマジ切れしたという。


    その場にいた記事を書いた人によると、
    若手芸人の野次は確かにたけしが怒るのも無理はない、
    お門違いな野次だったそうだ。


    オンエアに戻るとたけしは
    何事もなかったように“明るいたけちゃん”に戻り、
    その後、番組は盛り上がり、無事に生放送を終了した。


    その後、忘年会も兼ねた真夜中の打ち上げがあり、
    お開きの時、たけしが語った言葉は、


    「今日はちょっと収録中に怒ったけど、
    俺たちはプロなんだから、それで飯を食ってんだから。
    他がダメでも何でもいいんだけど、
    お笑いだけは誰よりも気を配って、
    神経を使ってやらなきゃダメなんだ」
    というもの。


    たけしは、
    流れにまかせて無神経な(プロとしての自覚の無い)
    野次を飛ばした、その軽率さに対して
    無性に腹が立ったのだ。


    これはたんに「すべる=受けない」
    というのとは違うだろう。


    若手芸人の野次の内容はわからないが、
    おそらくプロのお笑い芸人らしくない
    発言だったのだろう。


    この話、プロとしての仕事に対する
    心構えを考えさせてくれる。


    およそプロとして周囲に期待されることは、
    その道の専門家としての才智である。


    レベルの高い低いはともかく、
    日常の多くの時間をそれに割き、
    専心しているからこそ得られる何かを
    人は期待しているのだ。


    どんな職業であれ、ビジネスであれ、
    その道のプロと呼ばれることが
    どんなことを期待されてのものか
    よくよく考えなくてはならない。



      

  • Posted by グッドリスナー at 17:00Comments(0)きょうの言葉

    2015年01月25日

    「この人と不幸になってもいいと思う人と結婚しなさい」


    「この人と不幸になってもいい
    と思う人と結婚しなさい」とは、
    部屋の日めくりカレンダーにあった言葉である。


    別に著名な人の言葉ではないが、
    相手目線のいい言葉だと思う。


    毎年離婚件数は増加しているが、
    もしも皆がこの言葉のような結婚をしていたら
    離婚件数は減少するのかもしれない。


    先ごろおしどり夫婦と呼ばれていた
    タレント夫婦が離婚裁判中であると報じられたが、


    自分は結婚とは相手への感謝を持続する
    ことだと思っている。


    夫婦は知り合うまでは赤の他人、
    それが長く一緒でいられるためには
    相手へのリスペクトが欠かせない。


    だが結婚当初の緊張感は次第に薄れ、
    日頃ついつい尊敬や感謝の気持ちを忘れてしまう。


    外で働くこと、家事をこなすこと
    こどもを育てること
    家系を切り盛りすること
    どんな些細なことにも感謝を感じ、
    相手を尊敬する。


    そしてそれを言葉に出したり、
    行動で表すことである。


    ところで今日のこの言葉、
    他のことで言い換えも出来そうだ。


    「この会社でなら苦労してもいい
    と思う会社に就職しなさい」
    はどうだろうか。



      

  • Posted by グッドリスナー at 17:00Comments(0)きょうの言葉

    2015年01月22日

    なぜ日本では貴重な人材が還流しにくいのか?


    ちまたで中高年のセカンドキャリアが
    最近よく取り上げられる。


    だが、大企業の高いスキルを持った人材が、
    それを切望している中小企業に
    うまく還流していないのはなぜだろうか。


    一つには再雇用制度が法律で義務化
    されたことも理由だろう。


    年金支給年齢に達するまで
    定年後も勤めていた会社に残れるので
    あえて小さな会社で苦労しなくても
    と考える人は多い。


    しかしそれ以上に
    「自分のスキルなど今までの会社だから
    通用するもので、
    会社を離れたら何もできない」
    と思っている人が多いように見える。


    日本の会社の帰属意識養成技術は
    たいしたもので、
    社員に対し実際にはいろいろ出来るのに
    会社があってこそと巧妙に思い込ませている。


    以前にも書いたが、
    子象と杭の関係である。


    象は子象の時、子象の力では
    抜けない杭につないでおくと


    大人になってそんな杭など簡単に
    引き抜ける力をつけても


    杭とはぬけないものと
    思い込まされているので
    決して杭を引き抜いて逃げない
    のだそうだ。


    自分が知るかぎり、
    特に大手の企業で管理職だった
    ような経歴の持ち主は
    非常に高いスキルや仕事のリテラシー
    を持っている。


    そんなスキルなど会社の中だけで、
    たいした価値は無いと思うのは勝手だが、


    そんな人は長年にわたって杭は
    抜けないと思い込まされてきた
    象を彷彿とさせてくれるのである。


    会社側にとっても、
    報酬が三分の一になって
    モチベーションの下がった人を
    雇い続けるデメリットがある。


    本人のためにも会社のためにも
    新天地への人材の還流を
    真剣に考えるべきときである。



      

  • Posted by グッドリスナー at 17:00Comments(0)きょうの言葉

    2015年01月16日

    本当に大事なことは自分だけで決めるべき


    SNSの普及の裏には、
    仲間外れになり一人ぼっちになることを
    極度に怖れる心理があると思う。


    常に友人とつながっていたい、
    一番大切なものは親でも財産でもなく
    友達や仲間だと公言する人も増えた。


    人との絆こそ、自分にとっての宝物
    だという。


    だが、自分はそれを幻想だと思っている。


    誤解を恐れずに言えば、
    友人との関係性の中でしか己の存在感を
    得られないというのは
    一種の逃避である。


    究極的に人は一人で生まれ、
    一人で死んでいくものである。


    友人や仲間といえど所詮は他人、
    自分の全てを知るわけでもないし、
    自分の人生に対し何らの責任も無い。


    自分の弱さ、不安感を友人とつながる
    ことで確認したいというのは
    一人で立ち向かうことから逃げている。


    自分にとって本当に大事なことは、
    人に相談すべきではなく、
    自分自身が決断すべきだと思う。


    人に相談して、その言葉に従って行動し、
    結果が芳しくなかったら、
    相談相手のせいに出来るだろうか。


    すべての答えは自分の中にあり、
    人に引き出してもらうことはいい。


    だが、最後に決めるのは
    友達でも仲間でもなく、
    自分自身なのだ。


    もっともこんなことを書くと
    「逃避して何が悪い」と言われそうだ。


    逃避しても悪くはない。


    絶対に後悔しないというのなら。



      

  • Posted by グッドリスナー at 17:00Comments(0)きょうの言葉

    2014年12月19日

    松下幸之助翁の口癖は「自分は平凡」だった


    昭和の大経営者、松下幸之助翁の口癖は
    「自分は平凡な人間」というものだった。


    松下翁は、3人から始めた企業が
    大パナソニックに至った要因として、


    事業が時代に合っていたこと、
    人材に恵まれたこと、
    理想を掲げたこと、
    企業を公のものと考えたこと、
    ガラス張りの経営を行ったこと、
    全員経営を心がけたこと、
    社内の派閥をつくらなかったこと、
    方針が明確であったこと
    を挙げている。


    だが、最も大きな要因は
    「自分が平凡な人間だったこと」
    であるという。


    勿論たんなる大企業創業者というだけでなく、
    現代の社会にも大きな影響を与えている
    松下翁が平凡であるわけはない。


    だが、本人は本当にそう思っていたようである。


    平凡か非凡かは本人が決めることではなく、
    他人の評価であるだろう。


    松下翁の場合、「自分は平凡」という
    信念から出発して、
    人と組織の力を最大限に引き出していたことが
    結果として非凡だったのだと思う。


    自分を凡人と思うことで、
    多くの人の考えを聞き、
    知恵を借り、素直に考え、結論を出し、
    決断し、実行し、継続するようになる。


    自分は、人は誰もが非凡であると思っているが、
    自分を凡人と位置づけることで非凡となる
    こともまた出来るのだ。



      

  • Posted by グッドリスナー at 17:00Comments(0)きょうの言葉

    2014年12月07日

    12月7日の記事


    多くの箴言を遺した昭和の大経営者
    松下幸之助翁。


    「3年成長したら1年止めよ」
    という言葉があるそうだ。


    どんな人であっても、
    常に成長し続けるということは困難で、
    むしろ止まっている時にこそ
    成長があるという意味である。


    人の成長は、一直線の右肩上がりではなく、
    階段状に一歩一歩伸びていくものらしい。


    実はこれ、ウェイトトレーニングでも同じで、
    筋肉を発達させる秘訣は
    休息の取り方にある。


    筋肉は、休息を与えずに
    トレーニングを続けていると萎縮して
    かえって発達しないことがわかっている。


    最大筋力が必要な大きな負荷を与えた時は、
    恢復のための十分な時間を与えることで
    筋肉は発達する。


    休息の間隔は個人差が大きく、
    年齢によっても違うので一概には言えないが、
    大雑把に言えば一回やったら三日はあける
    というくらい長く休ませる。


    ボディビルダーの場合、見ていると
    胸筋系、背筋系、大腿筋系を各一日、
    完全休息日を一日、計四日で
    ローテーションさせている人が多かった。


    休む方が楽と思われるかもしれないが、
    それは逆で、大会が迫っている時や
    好調な時に休むのはとても勇気がいる。


    仕事の場合も、一見成長が止まって見える
    一年間の間に人は成長しているのだと思う。



      

  • Posted by グッドリスナー at 17:00Comments(0)きょうの言葉