2015年02月06日
本の速読には興味が無い理由
世には速読術なるものがある。
一冊200ページの本を
3分間で読むとか、あの類である。
だが自分は速読術をあえて学ぼうとは
まったく思わない。
それは速読術を信用していないからでも
その効用を認めていないからでもない。
「そんなもったいないことをするなんて」
と思っているからだ。
自分の場合、本を読むのは
本の内容を記憶したいからではない。
本を読みながら、あれこれ想像する
時間を味わいたいからである。
例えば2時間の食事時間があるのに
せっかくの美味しい料理を
3分間で食べたいと思うだろうか。
たんに栄養を摂る(知識を得る)だけなら
3分でもよいだろうが、
味わいながら3分で食べることは不可能だろう。
特に面白い本にあたった時などは
美味しい料理と同じで、
残りページが少なくなるのが惜しく、
「わざとゆっくりと読む」くらいである。
とはいえ、たまにつまらない本にあたったり、
短時間で本を読まねばならない場合はある。
そんな時、つまらない本の場合は
さっさと読むのを止めてしまい、
目次と著者略歴だけを読む。
必要な本で短時間しかない時は、
目次や索引から必要な箇所だけ探し、
そこだけを丁寧に読む。
だいたいそのやり方で対処して
特に不都合は起こらない。
本を読む意義の一つは、
記憶目的の場合を除いて
過去の自分の経験や知見と照合し、
考えをめぐらし、
自分だったらどうするかなどと
それに磨きをかけることだと思う。
その意義において
速読はあまり意味が無い
といったら語弊があるだろうか。
Posted by グッドリスナー at 17:00│Comments(0)
│読書