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2014年06月10日

自分の強みを分析してみると人生の幼少期に行き当たった


このブログでは、
誰もが持っている強みや
長所を発見することを
テーマに書いてきた(つもりだ)。


だが、どれもある意味
本に書いてあるような一般論。


これを書いている当の本人は
どうなんだろうか?


実体験という本人にしか
書けない自分という人間の
深層にはどんなことが埋まっているのか?


「強み」とは、その道の専門家
によるとコンプレックスに由来する
という。


コンプレックスは、
「弱み」や「失敗体験」、
「辛い思い出」と極めて近しい
関係にある。


自分の場合、
そうした一連のネガティブな
経験は、幼稚園、小学校時代に
集中している。


今の大人になった自分しか
知らない人にとっては
想像できないかもしれないが、


自分は全くのひどいダメ人間で、
小学校の頃は勉強も運動も最悪。
身なりも最低。


しかし、それ以上にクラスの
「嫌われ者」だった。


なにしろとても暴力的な子供で、
すぐカッとなって手が出てしまう。


嫌われ加減は徹底していて、
小学校の時、ホームルームの時間に
自分を被告にした裁判をやろう
という話が持ち上がったこともあった。


さすがになのか偶然なのかは
記憶していないが、
この珍企画は取りやめとなったが、
それほど自分は周囲から
嫌われていた。


大人しい子からみたら
一種の狂犬に見えただろう。


喜怒哀楽という言葉があるが、
自分は常に「怒怒怒怒」だった。


だいぶ以前のことだが、
幼稚園時代の同級生の女性に
同窓会で数十年ぶりに会ったら、


「毎日ケンカばかりしている」
のと「いつもケガして包帯を
巻いている」記憶しかないと
言われてしまった。


教師にも嫌われていて
いつも殴られていたから、
楽しい小学校時代とは到底
言えない毎日だった。


そんな記憶は無意識に
封印してきたが、昨今自分の過去を
棚卸しして向き合うことになり、
記憶が引き出しから出てきた。


自分の特徴の一つに
「全く付和雷同しない」
「周囲に流されない」
ということがあるけれど、


これは子供のころの日々が
そうさせたことなのかもしれない。


ふつうこんな人間は、
会社員などにはなれないものだが、
人は単純ではない。


自分の中には矛盾しているが
周囲との調和を求める自分も
元々いて、


成人する過程で未発達部分が
解消されると、協調的な部分の方が
表面に浮上してきた。


しかし深層の深い所には
少年時代の自分がいて、
それがコンプレックスとなって
今の自分の「強み」にもなっている。


自分のような成長過程の人は
少なからずいるだろうが、


幼少時代のネガティブな経験が
後々のキャリアにプラスに働いた人間は
そう多くはないだろう。


後々のキャリアとは、
対住民折衝とかクレーム対応、
新事業の企画立案、その遂行
などである。


いずれも神経が摩耗する
まっとうな会社員にとっては
辛い仕事だが、
自分には合っていた気がする。


もしも自分が恵まれたこども時代を
過ごしたやさしい子だったら
潰されていたかもしれない。


いつも孤独だったことが、
そんな荒仕事には適性として
役立ったのかもしれない。


まさにコンプレックス=弱み
の陰に強みありである。




  • Posted by グッドリスナー at 00:30│Comments(0)
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