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2014年11月11日

人にスペックという言葉を使うことのバカバカしさ


最近耳障りな言葉に
人のキャリアを言うときに使う
「スペック」という言葉がある。


いわく、「ハイスペックなキャリア」
とか、「彼のスペックなら大丈夫」
という使い方をする。


スペックとは、言うまでもなく
自動車や家電製品などの機械で
いう「諸元」のことで、


そのモノが本来固定的に備えている
機能や性能のことを表す言葉である。


では、人間のスペックとは何なのか?


学歴か?
それとも勤めている会社のことか?
仕事での実績や資格の有無、
あるいは身長とか容姿など身体的なものか?


これを人間の属性を表すスペック
と言ってしまうのにはとても違和感がある。


履歴書なんかはスペックに近いじゃないか
という人もいるだろうが、
自分はちょっと違うと思っている。


スペックの言葉の定義を見ると、
あくまで固定的な今後変化のしようがない
基本性能についての言葉であることがわかる。


だが、人間の場合、固定的なキャリアなど
あり得ないし、定量化できないことの方が多い。


人は日々変わるものだし、
だいたい履歴といえども非常に多くの
資質やポテンシャルのごく一部を書き記して
いるだけのものである。


人の属性を「スペック」などと言う人は
人間の可能性を愚弄していると思う。


では問うが、人の優しさや心の温かさ、
勇気などという属性をスペックで表せるのか?


人間の値打ちを表す尺度など
この世にあろうはずはない。





  • Posted by グッドリスナー at 12:00│Comments(0)
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