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Posted by たまりば運営事務局 at

2015年01月27日

自分の居場所とは、誰かの役に立っていると実感できる場所


自分の友人は年齢層が幅広く、
下は20代から、上は80代の人までいる。


先日、その中の今年85歳になるMさんと
会合で一緒になり、
いろいろな話を聞く機会があった。


Mさんいわく、
日本の高齢者福祉は決定的な
勘違いをしているという。


ひと口に老人といっても
健康状態も精神状態も実に様々で、
今の高齢者にとって押し付けになっている
施策も多いという。


特に勘違いが甚だしいのは
「高齢者の生きがい」についてで、


どんなことに生きがいを感じるかが
まるで理解されていないという。


Mさんに言わせれば、
高齢者が最も生きがいを感じるのは
「人から頼りにされている時、
人の役に立っていると実感できるとき」
だそうである。


よく地方で、90歳を過ぎてなお現役で
農業などに従事している高齢者の人がいるが、


あれは生活や目先のカネ勘定ではなく、
自分が誰かに貢献している、
喜ばれているということを通じて
社会の一員であることが
確認できるということが大きいのだろう。


そんなわけだから、
Mさんは旅行や観劇をしたりすることよりも、
趣味の陶芸で作品を造ることよりも、


造ったものがわずかな金額でも売れ、
買った人に喜んでもらえた時
最も生きがいを感じるという。


核家族化が極限に達している現代では
想像しにくいが、
かつての大家族社会では老人といえども
必ず何かの役割りがあって、
家族やコミュニティに貢献していた。


だからつねに居場所があり、
生きがいが論じられることも無かったのだ。


かつてある人から
「人の役に立つ仕事をしたい」と言ったら
「それも自分目線の一種のエゴ」と言われた。


だが、世の中の誰にも貢献しない仕事に
生きがいなんか感じるはずがない。


かつて聞いた話だが、
囚人にとって最も辛い課役は、
「地面に穴を掘らせ、それを埋めることを
毎日延々と続けさせることである」という。


人は行動に意味があるからこそ
継続できるのであり、
誰かに貢献していると思えるから
生きていると実感できるのだ。


先年叔母が亡くなったが、
彼女はその少し前まで老いた妹を
自宅で老老介護していた。


本人にとっては大変な負担だったろうが、
妹にとっては必要な人であることに
生きがいがあったのかもしれない。


叔母は妹が亡くなって
ほどなく自分も旅立ったのだから。



  

  • Posted by グッドリスナー at 17:00Comments(0)自分の居場所