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2014年08月09日

お盆を迎えて思うこと


お盆の盆という字は、
本来は霊に対する供物を置く
容器を意味する字で、


お盆は仏事と神事が習合して
できた習俗といわれている。


もともとは1年に二度、
初春と初秋の満月の日に
祖先の霊が子孫のもとに訪れて
交流する儀式がベースに
なっているそうだ。


初春の方は正月となり、
初秋の方だけが残って
今のお盆になった。


お盆には帰省して
先祖の墓参りというのは
普通だろうけれど


自分の場合、
すでに両親は亡く、
もう実家も存在しない。


もっとも元々実家が東京だった
こともあり、


そもそも自分には帰省の習慣
すらない。


だが、最近は最も近い祖先である両親、
それぞれの父母(つまり自分からみて
祖父母)のことは考えるようになった。


たった数十年前まではみな健在で、
日々の出来事に一喜一憂、
笑ったり泣いたり怒ったりしていた。


でも今はもうみなこの世には
いない。


人は自分の生を通してしか
外界を認識できないので


自分の認識できる世界だけが
唯一無二の世界だ。


だから今の状態が永遠に変わらないと
理屈には合わなくても
どこか思っているフシがあるが、


歴史的な尺度で見れば
人間の一生など瞬きにも等しい
短い時間。


そう考えると
日々の些細なことに喜怒哀楽を
感じていることがとても小さなことに
思えてくる。


わずか100年後であっても
お盆の時に自分のことを
思い出す人がいるだろうか。
たぶん誰もいないだろうね。


でもそれでいい。
元々、どんなに偉大な人でも
悠久の時間の流れの中では
やがて例外なく忘れ去られていく
のだから。




  • Posted by グッドリスナー at 23:55│Comments(0)
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