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2014年05月29日

歴史にイフは無いけれど考えてみる価値はある


歴史にイフ(=もしも)は無いけれど
仮定して考えてみると
いろいろ見えてくることもある。


もしも本能寺の変が無く、
織田信長があの後生き続けたら
どうなっていたかなどの歴史のイフは
一番よくあるテーマ。


織田信長は、
徳川家康が作り上げたような
権力の地方分散(近世的意味の「封建」)
は志向しておらず、


中央集権の絶対王権を志向して
いたとされているので、


おそらく豊臣秀吉も徳川家康も
よくて失脚、最悪は滅亡に追いやられたことは
想像に難くない。


織田政権は、織田信長だけが
突出していて、それを支える官僚機構が
未成熟で、優秀な後継者にも恵まれて
いなかったから、


信長の死後は権力が安定的に行使されず、
様々な内戦や混乱が起きたかもしれない。


しかし、そんなこと以上に
絶対王政が登場していたら
その後の日本人の思考パターンや
行動様式に与える影響の方が
大きかっただろうなと思う。


現代の日本人は、
良くも悪くも徳川幕藩体制の
文化的影響を強く受けていて、
すべての社会的規範の基になっている。


だからもしも16世紀という早い段階で
絶対王政的な政治体制になっていたら
今の日本とはかなり違った日本に
なっていただろう。


日本の歴史を通して読むと
大きな断層がいくつかある。


縄文時代と弥生時代の境界、
神話的世界の考古学的古代と
貴族王朝体制の境界、
そして貴族の終焉と中世武士の登場。


しかし、自分が一番強く境界線を感じるのは、
室町戦国が終わり、徳川幕府が登場する
戦国末期である。


たんに政治体制が大きく変わった
ということではなく、境界の前後で
日本人じたいが劇的に変わった
ように思える。


戦国末期以前の日本人は
ある意味奔放で、「個」の
意識がとても強い。
詩作など文芸的なことだけでなく、


政治や組織に対しても
「個」が見え隠れしている。


徳川期からは、「集団」が前面に出、
「個」の力で組織や社会を変えよう、
という考えが育ちにくくなった
ように見える。


だから、歴史のイフとして
織田信長が本能寺の変で命を落とさず、
生きながらえたとしたら、


もしかすると現代のヨーロッパの人々
のような思考様式の社会に日本も
なっていた可能性がある。
もちろんそれが良いか悪いかは別としてだが。


さて、イフを歴史から自分自身に置き換え、
もしも別の職業についていたらとか
海外に移住していたらと仮定することは
心のトレーニングにはなる。




  • Posted by グッドリスナー at 16:00│Comments(0)
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