たまりば

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Posted by たまりば運営事務局 at

2014年10月26日

秋の大型休暇より働き方の改善が必要


来年2015年の暦を見ると
9月は19日から23日が既に5連休で、


ここに仮に24日と25日に有休を取ると
土日が休みの人は9連休になる
ことがわかる。


日本の有給休暇消化率の39%は
世界の主要24か国の中でダントツ低く
最下位といわれる。


そこで政府の中には、
観光振興と地域活性化を兼ねて
カレンダー任せではなく、
秋の大型連休を制度化しよう
という構想がある。


確かに日本人の一般的な職場環境においては、
有給休暇が取りにくいという雰囲気がある。


繁忙期は無論のこと販売部門で
成績が低迷している時などは特にそうだ。


しかし、祝日を増やしてそれにつなげる
休暇取得を増やそうというのは
もうそろそろ限界なのではないか?


日本の職場で有給休暇が取りにくいのは、
働き方、仕事の配分、ジョブディスクリプション
の不徹底などの問題が背景にあり、


それらの解決無くして制度的に休暇を取らせよう
というやり方には無理があると思う。


自分の経験から言うと、
職場で有給休暇が取りにくいのは、
上司や同僚の圧力よりも、


休暇を取ると職場に戻ってから
停滞していた業務の処理が大変なのと


上司や同僚、部下の負荷が増え、
迷惑をかけることを避けたい
という思いからだった。


日本の職場の多くは
業務処理が個人任せで、
上司や同僚といえど簡単に
カバーが効かない。


ふだんから仕事の分担とカバーを
適切に行っていれば
いざ休まれてもすぐには困らないのだが
現実はそうなっていない。


さらにその前提として、
権限と責任の範囲を明確にし、


仕事の範囲をきちんと定め
有休についても職場全体で話し合っておけば
ずい分と休みを取りやすくなる。


ただ、日本の場合はこれだけでは
十分でないかもしれない。


休暇などを取るより、
会社に来ている方がいいという
人たちの存在だ。


欧米人には信じ難いことだろうが、
自分がかつて所属していた会社には


出勤扱い(つまり有給の休日出勤対象)
にしないで土日に職場に出ている人が居た。


本人は会社に貢献しているつもりだろうが、
このような人たちは実に困りものである。


まず業務でない状態で出勤し、
もし労災事故に遭った場合、
会社の管理責任が問われる。


そしてそれ以上に、
休日出勤をできるだけ避けるように
平日努力している同僚や部下に対し、
意図せず不当な圧力を与えている。


このような人たちは、
仕事に対する責任感が強いのではなく、


たんに職場にいることで
自身の存在証明を得て
安心しているだけなのだ。


休日出勤ではなくても
ダラダラ残業で職場に残る人にも
共通の心理がある。


日本人の労働生産性は低い
と言われないためにも、


こんなことから改善していく
必要がある。


そうすれば、政府お仕着せの
大型連休など必要なくなるだろう。



  

  • Posted by グッドリスナー at 23:55Comments(0)

    2014年10月26日

    人生最古の記憶 どこまで遡ることが出来るか


    人生の記憶で最も古い記憶は
    いつのものですか?


    と聞かれた時、何歳ころのことを
    話すことができるだろうか。


    一般的に人の記憶は4歳を
    過ぎてから固着するそうで、
    それ以前のことはほとんど思い出せない。


    これを「幼児期健忘」というが、
    なぜそうなるのかについては
    諸説ある。


    現在の主流の説は、
    記憶を固定するために必要な
    神経ネットワークが、
    赤ちゃんの時は未発達というか
    発達の最中で、


    古い記憶はその後の新しい
    記憶に飲み込まれ、
    奥に追いやられてしまう
    ことによるという説だ。


    つまりハードディスクにデータは
    残っているのだが、


    ヘッダーが検索できなくなっている
    ということらしい。


    しかし、記憶の断片としては
    完全に取り出せないかというと
    そうでもない。


    正確な記憶ではないが、
    何かの折に思い出す記憶
    というのはある。


    自分の場合、1歳から2歳の頃、
    喘息がひどく、夜眠れないので、
    よく母親に抱っこされていた。


    そして、その時のことを
    鮮明に思い出すことがある。


    当時普及し始めたばかりのテレビ、
    それも外国の番組(当時の番組は、
    多くが海外からの購入番組だった)を、
    自分は母親に抱っこされながら見ていた。


    3歳以上になって抱っこされることは
    ないと思うので、
    たぶん2歳ころの古い古い記憶である。


    人は生涯で見聞したことを
    実はすべて憶えているという話があるが、
    2歳以降については正しいかもしれない。


    しかもただ憶えているだけでなく、
    そのごの人格形成に対しても
    大きな影響を及ぼしている可能性がある。


    嫌な話だが、幼少期にDVを受けて
    育った子は、


    自分が親になった時DVに走りやすい
    というのも、実は深層記憶が影響している
    可能性があると思う。


    生まれてから何十年も経ってしまうと
    幼少期の記憶は、
    もうはるか彼方の朦朧としたものだが、


    自分を再発見するためには
    少しずつでも解きほぐしてみたいと思う。



      

  • Posted by グッドリスナー at 12:00Comments(0)

    2014年10月25日

    いつの時代にもいる終末論や亡国論を利用するヤツ


    終末論や亡国論ってよくあるよね。


    「〇〇が国を亡ぼす」とか
    「△△亡国論」etc.


    あれは大嫌いだな。


    あれを利用して本を売ろうとするヤツ、
    不安を煽って自説を通そうとするヤツは
    もっと嫌いだね。


    「少子高齢化」「フリーター」
    「無気力な若者」「フリーター」
    「大地震」「火山の噴火」「中華思想」
    みんな国を亡ぼすらしい。


    「亡国論や滅び論は、
    私憤を大義にすり替えるため」
    という人がいるがまったくその通りと思う。


    個⼈的に気に⾷わない相手や、
    その人がやっていることが
    気にくわなかったとき、


    論理的に批判するのでなく、
    その相手は国や世界にとっての敵だ


    そいつが国を滅ぼすぞと喧伝し、
    批判対象を公共の敵に
    仕立てようとする。


    もうそんなトリックにはウンザリだが、
    この手のタイトルの本が後を絶たない
    ところを見ると


    人というのは本質的に、
    どこかに敵を用意して
    袋叩きにしたいものなのかもしれない。


    しかしこの亡国論や終末論、
    歴史上はずっと大昔からあった。


    というより、末世感が無かった時代など
    歴史上一度も存在しなかった
    といえるくらいだ。


    いつの時代も
    「昔は良かった。
    今の若者はなっていない。」
    と思う人がいるが、
    事実とはもちろん異なっている。


    具体例として高度経済成長時代を
    懐かしみ、


    「あの頃には家族団らんがあり、
    貧しくてもみんな笑顔だった」
    という。


    しかし、それが事実だとしても
    その反面、今の中国以上にひどい環境汚染、


    中卒で集団就職、犯罪、交通事故、汚職等々
    問題はいつも山積だった。
    ウソと思うなら統計数値を見るとよい。


    基本的に歴史上どの時代にも
    一長一短はあり、


    あの時代は良かったというのは
    現在否定のノスタルジーでしかない。


    自分は「現世肯定主義」であり、
    終末論の完全否定論者である。


    過去は尊重しても懐かしまない。


    未来は計画しても憂えない。


    いまこの瞬間以上に大切な時間
    なんてあるはずがない。



      

  • Posted by グッドリスナー at 23:55Comments(0)

    2014年10月25日

    電子書籍と紙の本 将来はどうなる?

     
    キンドルなど電子書籍が
    どんどん増えている。


    自分もたまに電子本をダウンロードして
    読むことがあるが、
    あれはあれで便利である。


    特に最近は電子本によっては
    目次やイントロ部分が読めるので
    外すことがないのもいい。


    でも紙の本は絶対なくならない
    とも思っている。


    CDが登場して、アナログレコードが
    姿を消したようなことは絶対起きないと思う。


    確かに情報を得るという点では
    電子書籍も紙の本も同じなのだが、


    出版物から受け取っているのは
    情報だけではない。


    紙の本の場合、
    手に取った時の独特の質感、
    重量感、ページをめくる時の
    独特の感覚など
    電子書籍には無いものがある。


    それとガイドや参考書などの場合、
    付箋をつけたり、書き込んだりと
    電子書籍では手軽に出来ないことを
    やれるのもいい。


    だいたい紙の本なら落下させて
    壊れることも、電源容量が不足して
    読めないということも無い。


    一方で、電子書籍のよい所は、
    読みたい本を何冊でも一つの端末で
    読める、持ち運べることだ。


    それと細かい字が苦手な人でも
    文字を拡大できるのは、


    メガネを忘れたために
    本を読めなかった経験のある人なら
    わかる嬉しい特長だ。


    レコードがCDに取って変わられたのは、
    音楽マニアの評価は別として、


    CDの音質がノイズも少なく
    十分に良かったことと、


    大きなプレイヤーが不要、
    データとしてコピーや保存か簡単など、


    利便性でCDに圧倒的優位性が
    あったからだと思う。


    今のところ電子書籍と紙の本は別物で、
    両者の利便性に圧倒的な差はない。


    新しい機能を持った革命的な
    製品が登場しても


    電子書籍と紙の本は、
    特徴が異なっていて共存できる
    ことがある好例であると思っている。



      

  • Posted by グッドリスナー at 12:00Comments(0)

    2014年10月24日

    脳トレの効果は疑問だが、プレゼンの効果は大きいという話


    一頃流行った脳トレーニングブームは、
    昔から間隔をおいて度々流行している。


    人の能力に対する探究心は
    飽くなきもので、


    「〇〇をすると脳が鍛えられる」
    というテーマの本は、
    しばしばベストセラーになっている。


    しかしこの種類の話、
    実はどれも証明が難しい。


    「〇〇をすると」ある脳内物質の
    分泌が促される


    →だから脳が活性化され、
    その結果脳が鍛えられる
    という論理だが、


    脳内物質の分泌が増える
    ことは証明できても
    脳がどの程度活性化されるかは
    条件しだいであるし、


    そもそも脳が活性化されても
    能力として発揮されるためには
    それだけでは不十分だろう。


    料理にたとえると
    「〇〇をすると唾液の分泌が増えます」
    という類のことである。


    唾液の分泌が増えたからといって
    それだけで料理が美味しくなる
    というものでもない。


    しかし脳トレブームのように
    実際の効果には疑問があることでも


    効果があることなのだとして
    データや画像つきで説明されると


    人は説得力があると感じて
    信じることが実験で既にわかっている。


    極論だが、
    まったく根拠のないデタラメな内容でも、


    データと画像を付け、統計グラフでもあれば
    人は納得してしまう。


    自分はパフォマンスだけのプレゼンは大嫌いだし、
    あんなものをスキルとして真似るのは
    実にバカげていると思っている人間だが、


    脳科学的にはそれもアリ
    なのかもしれない。


    人間が納得をしようとしまいと
    事実に変化はない。


    だが人間にとっての真実が
    自分が信じられることを指すのだとしたら


    プレゼンテーションというものの
    威力と重要さは認めないわけにはいかない。



      

  • Posted by グッドリスナー at 23:55Comments(0)

    2014年10月24日

    飲み放題があるのは日本だけ?


    プラス1000円で2時間飲み放題
    なんて居酒屋、最近よくあるよね。


    このシステム、外国人には珍しいらしく、
    またとても好評でもあるそうだ。


    とくに留学生などにとって、
    時間内いくら飲んでも
    一定料金というのはとても魅力的らしい。


    しかし思い返してみると、
    自分の学生時代には、
    飲み放題のようなサービスは
    あまり無かったような気がする。


    また、フランスのように
    飲み放題そのものを法律で
    禁じている国もある。


    しかるに日本では、
    むしろ居酒屋などで
    増えている感じすらある。


    この違いは何なのだろうか?



    一番の違いは、
    最近の日本人、特に若者は
    あまり酒を飲まないからではないか。


    多人数で飲む機会の時、
    面倒をさけるため飲み放題にする
    ことはとても多いが、


    見ていると時間内に頼むのは
    一人せいぜい2~3杯、
    それも薄いジュース同然のチューハイか
    ソフトドリンクだ。


    これでは店は大儲けだよ。
    だからどんどん増えるわけだ。


    でも外国人、特に欧米人は
    体質的に酒に強いし、


    かつての日本人も「無礼講文化」
    があって、とことんまで飲んだ。


    しかるに今は、みんな飲まないから
    店にとってはとても好都合である。


    グループの人数が多ければ
    たぶんプラス500円でも採算が
    取れるのではとおもうくらいだ。


    これは多分統計学の問題で、
    仮に突出して飲む人やグループが
    居たとしても、


    サンプル数が多くなると全体で
    緩和されて大した問題にはならない
    ということがわかっているからだろう。


    ということで、教訓としては
    計算が面倒でも安易に飲み放題を
    チョイスしないことだ。


    もっとも自分一人の時は、
    よく飲み放題を選択している。


    というのも、
    自分はくだんの統計学における
    ごく少数の例外であるためだが。



      

  • Posted by グッドリスナー at 12:00Comments(0)

    2014年10月23日

    後知恵アドバイスは人間の本性で避けられない


    後知恵アドバイスというのは、
    日常の中でよく経験することだね。


    「そうなると思っていたよ」
    「初めからわかっていたことだよ」
    「だから言わんこっちゃない」
    「なんで〇まるしなかったの?」


    人間は、ある出来事や結果について
    そうなることをあらかじめ知っていたと
    錯覚する性質がある。


    この性質については、心理学の
    ある実験があって、


    まず、数値的な回答が必要になる
    あることについて問い、回答を集めた後、


    しばらく時間をおいて正解を知らせ、
    「あなたは回答の前、いくつくらいと想像しましたか?」
    と数値を問うて見ると、


    なんと多くの人が後から知らされた
    正解の数値に近い回答をするという。


    つまり、自分はその正解に近い数値を知っていた、
    予測していたと錯覚しているのである。


    このような実験は他にもたくさんあって、
    どれも同じような結果が出ている。


    後知恵アドバイスは、日常の職場では
    頻繁に起きていて、


    初めてのトライである決断をすると、
    後からやってきた人間がわけ知り顔で
    「なんで〇〇をやらなかったのか?」となじってくる。


    「自分は最初からわかっていたよ」
    と言わんばかりであるが、
    当人に最初からやらせたら同じ結果しか
    得られないことがほとんどだ。


    新事業で試行錯誤の決断の連続だった当時、
    そのような言動には本当に腹が立ったものだが、


    このような実験結果を聞くと
    後知恵アドバイスというのは人間の
    本性に根差したことだったのかと得心がいく。


    裏返すと、最初にやる人間にとっては
    後知恵も何もないわけで、


    コロンブスの卵の話も
    「さもありなん」と思うわけである。



      

  • Posted by グッドリスナー at 23:55Comments(0)

    2014年10月23日

    良好な人間関係を築くホルモンがあった


    良好な人間関係は、
    人が社会生活を営むにあたって
    とても重要なことである。


    従来、それはその人の性格や人格、
    人生経験に由来するものと思われてきた。


    しかし、最近の医学研究では、
    オキシトシンというホルモンが
    脳に作用していることがわかっている。


    オキシトシンは、女性に多く、
    子宮収縮や乳汁分泌に関与しているが、
    男性にも存在している。


    このホルモンは逃走欲や遁走欲を緩和し、
    恐怖への感受性を抑えて
    穏やかな人間関係を築くホルモン
    としても知られている。


    これを実験であらためてヒトに投与すると、
    驚くべきことが起こる。


    相手への信頼関係が劇的に増し、
    金銭取引などで相手のことを盲信
    してしまうのだという。


    騙されて痛い目にあっても
    オキシトシンを投与されると再び
    相手を信用してしまう。


    こんなホルモンが悪用されたら
    世の中どうなってしまうのかと
    怖ろしくなる。


    人の心の働きというものは
    科学的に見れば物質の作用という
    身もふたもない冷厳な結果でしかない
    のかもしれない。


    ちまたではコミュニケーション術が
    おおはやりだが、


    オキシトシンを服用して会合に出れば
    みんな仲良しということになってしまい、
    これらのノウハウは無用の長物になってしまう



    だが、おそらく大丈夫。


    真のコミュニケーション力というのは、
    信頼関係のない相手に仲良くなってもらう
    ことではなく、


    理詰めでお互いの意思疎通を可能に
    することなのだから。



      

  • Posted by グッドリスナー at 12:00Comments(0)

    2014年10月22日

    人差し指が薬指より短い人は株取引に強いという説


    自分の手をじっくりと見て頂きたい。


    人差し指と薬指、
    どちらが長いだろうか?


    男性の場合は薬指の方が
    人差し指より長い人が多い。


    これは胎児の時に脳に浴びる
    テストステロンという男性ホルモン
    の影響だそうだ。


    そしてケンブリッジ大学の研究では
    薬指が人差し指に対して長い人ほど
    株や為替の投資で成功しているという。


    この研究には数値の報告も出ていて
    信憑性がある。


    テストステロンに多く曝されると
    自信が強く、危険を好み、粘り強く
    注意深くなり、


    そして決断に対する反応や動作が
    格段に早くなる。


    そうした性向が投資に必要とされる
    瞬発力にピッタリと合致しているらしい。


    もしこれらの研究が正しいとすれば、
    人にとってのデフォルトとしての資質が
    肉体的特徴からも推定できることになる。


    まあ現実社会はきわめて複雑なので、
    単純に素質があるから成功するというものでも
    ないだろうが、


    ゼロの状態から何かを始める時の
    参考にはなるかもしれない。


    さて、あらためて自分の手を見てると
    確かに薬指の方が人差し指より長い。
    それもずい分と長い。


    おかしいなあ、
    それならもっと投資で
    儲けているはずなのに…。



      

  • Posted by グッドリスナー at 23:55Comments(0)

    2014年10月22日

    「もったいない」と思う気持ちは痛みを感じる回路と同じらしい


    もったいないと思う気持ちは
    一体どこからくるものなのだろう。


    自分も大変な「もったいない屋」で、
    まだ使えるものがなかなか捨てられない。


    整理整頓の極意は、
    使えるものを捨てることだ
    という人がいるが、
    自分にはとても真似出来そうにない。


    「もったいない」という言葉は、
    日本語特有の単語で、
    外国ではあまりないらしい。


    ちなみに英語では「too good」といい、
    中国語では「太好了」と書き、


    どちらも肯定的な表現で
    ちょっと日本語とはニュアンスが異なる。


    この「もったいない」は、脳科学でいう
    同情回路から発しているといわれている。


    つまり、生物でないモノに対して
    「まだ使えるのに可哀想」という気持ち
    が働いているらしい。


    そう言われてみると
    よく思い当たるな。


    長い間使用してきた道具や
    どんなつまらないモノでも
    まだ使えるものは
    なかなか捨てられない。


    だが壊れたり消耗して
    機能を喪失したものについては
    心おきなくさっさと捨てられる。


    となれば、
    狭い我が家がゴミの殿堂に
    ならないためには、


    まだまだ使えるものから先に
    さっさと捨てるクセを


    日頃からつけることが
    やっぱり大事なのかもしれない。



      

  • Posted by グッドリスナー at 12:00Comments(0)