たまりば

多摩のコミュニティビジネス 多摩のコミュニティビジネス多摩市 多摩市

スポンサーリンク

上記の広告は、60日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  
Posted by たまりば運営事務局 at

2014年08月16日

「おーいお茶」という商品名は女性差別か


日経ビジネスオンラインに
2014年7月30日付で掲載された
海部美知氏の発言が波紋を呼んでいる。


記事中の、本題とは別の部分で、
「あの『おーいお茶』という
男尊女卑的な響きのある商品名は
何とかならないのか、
と思うのだが...」
と発言したことによる。


もし差別的な商品名だとの声が
多くあがったとしても、


この商品名は完全に定着しているので、
製造販売元の伊藤園としても
おいそれと撤回はできないだろう。


この問題、セクハラ発言の認定と
似ているなと思う。


字面は同じでも、
言う人、言う場面によって
セクハラ発言になったり
ならなかったりするアレと同じ。


「おーいお茶」というのも
気にする人にとっては
差別的に聞こえるということ
なのだろう。


この商品名についての感想は
とくに書かないが、


人と人とのコミュニケーションを
考える時、このような状況は
よく心得ておく必要があると思った。


つまり、全く同じ趣旨のことを話す
場合であっても、「誰が」言うかと
「どんな状況、場面で」言うかは
とても重要だということだ。


これが本やメール、ネット上での
情報伝達と決定的に異なるところ
だと思う。


プレゼンやセミナーでは
伝える内容と同時に


この「誰が」と「場面」は
演出する必要がある。


「誰が」は、セミナーでいえば
『この人の話ならぜひ聞きたい』
と思ってもらえるように
プロフィールの強化や、
お客様の声、実績を伝える
ことが必要になる。


「場面」は、集客時に極力
聞きたい人だけに来てもらえるように
場をつくることである。


無料のセミナーなどがダメ
なのはこの理由による。


プレゼンの場合は、
「誰が」はプレゼンターの演出
より、「この人の話なら最後まで
聞いてみよう」と思わせる
冒頭のツカミが肝心になる。


フーテンの寅さんの口上は
まさにこれを効果的にやっている。


そして「場面」も聞き手を
飽きさせない工夫を入れて
うまく進行することで行っている。


冒頭の「おーいお茶」のCMも
言う人と場面を工夫すれば
女性差別的と感じる人は
少なくなるのではないか。


例えば「おーいお茶」という人が
男性でもかなりの高齢者だったら
どうだろう。


農作業かなんかの合間に
おじいちゃんが孫の青年に言う
という場面なら自然で、
誰も文句は言わないと思うのだが。



  

  • Posted by グッドリスナー at 23:55Comments(0)

    2014年08月16日

    今のところ脳ドックでわかることは


    きょうは1年半ぶりの脳ドック。


    脳ドックというのは
    脳のMRI検査のこと
    いわば脳カメラのこと。


    かんたんに言えば
    強力な電磁石のコイルの中に
    頭を突っ込んで、


    脳の中の水分の
    水素原子核を磁化させて
    それを写真に撮っている。


    脳の中の液体のあるところは勿論、
    脳表面の細胞や、そこに繋がる
    繊維も明確に見ることができる。


    今まで何回か受けたことがあるが、
    実に細かいところまで鮮明に
    写しだしてくれる。


    とは言っても、今のところ
    物理的に外観を確認しているだけで
    精神世界まで写しだしてくれる
    わけではない。


    そんなことがもし出来たら
    恐ろしいという反面、


    絶対に自分にしか診断結果が
    わからないで記憶や精神の内面
    まで分析できるなら
    ちょっと調べてみたい気もする。


    パーソナルブランディングで
    自分の棚卸しをするが、


    おのれを知ることが
    人間にとっては最も難しいと
    痛感している。


    だから人の力を借りて
    自分の中の引き出しを少しずつ
    開けていくのだが、



    当然のこととして
    開けられる引き出しなどは
    全体のほんの一部である。


    自分という人間は
    どこから来た何者なのか


    自分でもわからない
    自分の可能性には
    どんなことがあるのか。


    ずっと昔に聞いた話だが、
    人というのは脳の持つ力の
    ごく一部しか利用していない
    のだという。


    もし物理的にそれを調べる
    方法があったとしたらという
    発想からそんなことを考えた。


    でも、ほとんどが未知だから
    やっていられるのかももしれない。


    それにもし脳の持つ可能性を
    すべて解析できたとしても


    結局のところ現実とは
    他者との関係性の中で
    成り立つことだから
    あまり意味がないかもしれない。


    まして、脳の繊維は思考と
    学習によって成長し続けるので、
    解析はその時点での中間評価に
    過ぎない。


    とりあえずはMRI検査で
    何も異常がないことを祈ろう。



      

  • Posted by グッドリスナー at 17:30Comments(0)