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Posted by たまりば運営事務局 at

2014年10月10日

女性の社会進出には真のジョブディスクリプションが必要


改造安部内閣の目玉政策の一つは
職場における女性の登用である。


日本は先進国の中でも最も
女性の登用が遅れているそうで、
男性の育児参加度合も最低のランクに
入るといわれている。


元より男性と女性、
人としての能力に差は無いが、


子どもを出産できるのは
女性にしかできない。


肉体的、生理的な相違点があるのは
致し方ないことである。


その点は諸外国でも同様なのだが、
外国で普及しているのになぜ日本では
なかなか女性登用が進まないのか。


それには日本人の労働観や働き方が
大いに関係していると思う。


日本人の働き方の特徴は、
ジョブディスクリプションの概念が
きわめて希薄なことである。


もちろん日本の企業でも職務規定はあり、
書類として完備はされている企業も多い。


そこには、権限と責任なども事細かく
記載されている。


だが、経験上日本の職場では
それあまり機能してはいない。


つまり実態上、権限と責任の範囲が
きわめて属人的というか曖昧なのである。


例えば外国でレストランに入ると、
テーブル担当のウエイトレスが決まっている。


たとえヒマそうにしているウエイトレスがいても、
担当以外の人には注文ができない。
というより何か頼んでも相手にされない。


それは担当外のウエイトレスにとっては、
自分のジョブディスクリプション
に入っていないからである。


日本の職場では上司が思いつきで
部下の職務範囲外の仕事を頼んだり
することがあるが、


あれは欧米先進国の職場では
絶対NGである。


どうして日本においては実態として
ジョブディスクリプションの概念が
発達しないのだろうか。


その答えは日本の職場では権限が
定められていても、実質的な
「責任の範囲」が不明確である
からだと思っている。


日本の職場では、
たとえ権限範囲と定められている
ことであっても、


決定したことについて
上司が介入してくることが多々ある。


たとえばある購入案件があったとして
本人に100万円までの発注決裁権があるとする。


原価率やその他のルールにも
すべて適合していたとしても


上司は報告を求め、さらに決定内容にも
口出しをしてくることがある。


口出しをされた部下は、
本来その発注決定に関する責任を
持たなければならないが、


上司が介入してくるので、
決定は自分の責任だけではないと
考えるようになる。


本来、権限範囲での決定には
上司でも介入できないはずなのに
日本の職場ではそのあたりがいつも
曖昧になってしまう。


結局、多くの意思決定が集団責任になり、
かくて集団無責任になってしまう。


小さな職場だけでなく、
上から下までそうである。


日本人には「個」の観念がないと云われるが、
まさにこんなことにそれが顕著だ。


女性の社会進出において、
ジョブディスクリプションが明確で
かつ実態として本当に機能しているならば、


出産休暇中や育児中の職務分担は
スムーズに行えるだろうし、
男性の育児参加も容易になる。


さらに毎日出社、定時出社、定時退社といった
固定的な働き方の他にも選択肢が
確実に増えるはずである。



  

  • Posted by グッドリスナー at 23:55Comments(0)

    2014年10月10日

    国籍とは一体何だろう?


    日本人の研究者3人の
    ノーベル賞受賞が決まり、
    巷では喜びの声が溢れている。


    ここのところ大きな被害をもたらした
    自然災害や、猟奇的凄惨な事件で
    暗い話題が多かったから
    確かに明るい話題である。


    ところで、受賞者のひとり
    中村氏はアメリカ国籍である。


    日本は二重国籍を認めていないので、
    すでに法律的には日本人ではなくなっている。


    だから厳密に言えば日本人の受賞者は
    二人だけだったということになる。


    外国で長期にわたって研究するケースでは、
    労働ビザの取得がとても大きなハードルになる。


    労働ビザは観光ビザのように
    簡単には取れないし、更新も必要だ。


    アメリカで永住権を取得して
    活躍している人もたくさんいるが、


    やはりアメリカ国籍が無いと
    何かと不便ということらしい。


    加えてオリンピックやサッカーワールドカップ
    などのスポーツイベントを見ていて
    いつも思うのは、


    国籍を変えて活躍している選手の
    実に多いことである。


    先日終わったアジアカップでも
    陸上競技長距離種目で活躍した
    バーレーン選手の多くは
    ケニア出身のバーレーン人だった。


    二重国籍を認めている国出身の人たちは、
    比較的容易に研究や練習環境の
    整った国に移動してしまう。


    この先さらにこの傾向は
    顕著になるだろう。


    彼等を見ていて、
    アカデミーの世界でもスポーツの世界でも
    だんだん「〇〇国人」というのが
    意味がなくなってきていると感じる。


    そもそも現代において、
    国籍とは一体何なんだろうと
    考えさせられてしまう。


    国だけの利害で考えれば
    日本の研究環境がプアであると、


    どんどん優秀な人材が「日本国籍」
    から離れてしまうので大きな損失
    ということになる。


    だが、いまや世界は密接につながっており、
    もはや人類全体にとってどうなのか
    という尺度で見るべきかもしれない。


    今回の青色LEDの研究のように
    人類全体の未来に貢献した業績は、
    どの国籍の人の成果であっても
    素直に喜び、賞賛すべきではないだろうか。



      

  • Posted by グッドリスナー at 12:00Comments(0)