たまりば

多摩のコミュニティビジネス 多摩のコミュニティビジネス多摩市 多摩市

スポンサーリンク

上記の広告は、60日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  
Posted by たまりば運営事務局 at

2014年08月03日

マイキャリアのつくり方


士業の人や職人さん、
フリーランスの人に比べると
サラリーマンのキャリアというのは
本人が意識しにくいところがある。


会社から与えられた仕事を
会社が用意した場所、
会社が設定した目標に向かって
実行していくので


そこで得た経験や技能を自分のもの
とは感じにくいところがある。


サラリーマンとしてのキャリアの
長い人と話して度々思うことは、


傍から見てすごい経験なのに
「そうはいっても会社の仕事だからね」
という感じで謙遜ではなく、
たいしてすごい経験とは思っていない
ひとが多いことだ。


だが、そのキャリアを今後の人生に
活かそうという場合、
その価値をもっと認識してもらいたい。


たしかに会社員として経験したことは、
組織というバックがあって初めて可能なこと
が多く、個人の実績として仕訳しにくい。


だが、逆に狭く深く経験して
知っているともいえる。


たとえば知人に大手外資企業で
何十年も新規採用から組織づくり、
その後の人事教育に携わってきた人
がいるが、


このような仕事などは、
フリーだったり小さい組織にいたら
経験したくても出来ないことである。


組織の中の仕事というのは
専門が分かれているので
その分余計な仕事に煩わされることなく
専念できるので、
専門性を高めるにはむしろ
手っ取り早い。


また、大きな組織でしか経験できない
仕事というのもあり、
それを経験できるのは
サラリーマンの特権である。


たとえばいくらベンチャーを起業して
財を成したとしても、
ダムづくりは経験できまい。


だからキァリアというのは
別に波乱万丈な経験ばかりでなく


平凡な日常業務をこなしている人
だって知らず知らず積み上げている
ものなのである。


なんて書くと
「いやー自分の経歴なんて
ありきたりで、同じことが出来る
人なんかいくらでもいるからね」
と反論?する人がいる。


そういう人には、
「なぜ、(他を知らないのに)
ありきたりと言えるのですか?」
ということと、


「あなたの身のまわりでは
ありきたりだとしても、
別の世界では貴重かもしれませんよ」
と言いたい。


マイキャリアなど特別なこと
ではない。


今の眼の前の仕事を
誠実に毎日努めること。
ただその積み重ねなのだ。


ただし、その掘り出し方と
見せ方には工夫がいる
ことは確かだが。



  

  • Posted by グッドリスナー at 23:55Comments(0)

    2014年08月03日

    福島原発事故の東京電力関係者検察審査会について


    件の事件で、
    検察審査会が東京電力の当時の
    幹部に対する不起訴処分は妥当ではない
    として、


    3人については起訴妥当との
    結論を出した。


    この話、さほど大きく報じられていないが、
    日本の将来に対する影響はとても
    大きいと見ている。


    つまり、先般の福島原発事故で
    もしこのまま誰も起訴されないとすれば、


    あれは不可抗力の自然災害で
    どうしようもなかったんだ
    ということを認定することになる
    からだ。


    あれほどの未曽有の災害に対し
    備えていなかった責任を問う
    というのは、


    個人的には酷な気もするが、
    ことはそれほど単純ではない。


    日本という自然災害の
    避けられない国土の特徴を
    踏まえた時、


    あれほどの大災害も想定しなくては
    関係者が責任を問われることもある
    ということを周知する必要がある。

    そのためには、見せしめではないが
    起訴は必要なことだと思う。



    ところで、
    東北大震災ほどの自然災害に対して
    であっても、自分は備えるべきことは
    まだあったと思っている。


    それは単なるあて推量ではなく、
    経験があるからだ。


    自分はかつて名古屋で仕事をしていた
    ことがあり、岐阜県の大垣市に
    度々訪れたことがある。


    岐阜県の方はご存知と思うが、
    大垣市役所の入り口には
    ポールが建っている。


    そこには目盛りが記されていて
    「昭和34年の伊勢湾台風の時、
    ここまで水に浸かりました」
    というような主旨のことが書かれている。


    大垣市は水の都といわれるくらい
    水路の美しい街だが、
    ゼロメートル地帯でもあり、


    なんとそのポールの目盛りの
    位置は、市役所の玄関よりかなり
    高いところ。(記憶では6mくらいの高さ)


    市役所に入ると災害直後の
    写真も掲示されていて、
    生々しさを今に伝えている。


    死者・行方不明者5千人を
    超えた大災害を忘れない
    ための展示だと思う。


    自分は当時大垣市内のあるビル
    の建設に関わっていて、
    建設関係者の合同会議にも出席した。


    その時、非常用電源装置を
    どこに設置するか議論になった。


    そして出席者の一人が大垣市の
    ディスプレイの話を持ち出し、
    絶対に2F以上の高い場所、または
    屋上に設置すべきであると力説した。


    結果的に高い場所に置くことで
    決着したのだが、
    結局災害に備えるということは
    理屈だけではなく、
    こういうことなのである。


    大垣市の経験や教訓が
    見事に活かされたわけである。


    かたや福島原発!


    頭のいい東京電力のエリートたちは
    非常用発電機を設置するに際し、
    過去のテータを調べ、
    コストとのバランスから
    まずグランドレベル(つまり一階)でも
    問題なしとしたのであろう。


    しかし彼らの言う想定外の津波は
    防護壁を軽々と乗り越え、
    非常用発電機はあえなく水没、


    結局主電源が停電し、
    非常電源も使用できなかったため
    炉心を制御できなくなり、
    メルトダウンに至った。


    しかし、本当に想定外だったのか
    と言えば、大垣市のこともあるし、


    古文書には500年ほど前にも
    同程度の津波があったという記録
    があるという。


    たかだか500年くらいで
    再び発生しているのだ。


    それを想定できていなかった
    ということがとても残念である。


    日本人のいいところでもあるのだが、
    艱難辛苦はすぐに忘れてしまう。


    そうしないために今回の
    検察審査会の判断は
    とても重要だと思ったのである。



      

  • Posted by グッドリスナー at 17:30Comments(0)